村野瀬玲奈の秘書課広報室で知った下記記事をお持ち帰りさせて頂きました。
「第二次大戦で大日本帝国からの侵略と蛮行の被害国、被害者となった中国の論説。加害国日本として知っておくべきこと。記憶のための記録。」として。。。
歴史を片時も忘れない理由
2014年02月28日13:36
中国が抗日戦争(日本の呼称・日中戦争)勝利記念日と南京大虐殺追悼日を法制化するのは、情・理・法のいずれにおいても当然のことである。日本の政治屋はまた複雑な心境で落ち着かず、びくびくして意気消沈していることだろう。案の定、後手に回った日本は「中国が歴史包囲網を構築」と主張している。「包囲網」などの有無は、差し当り論じない。実情として、もし日本が歴史的な重荷を下ろさずに背負い続けるのなら、現実は芳しくなく、未来は憂慮されるものになるだけだ。(文:金採薇。人民日報掲載)。
安倍政治の持つ深い意味を知らず、頭を悩ませている日本人も少なくないのかもしれない。「前の世代の事はわれわれには関係ない」「69年経ったのに、なぜまだこだわるんだ?」と。
被抑圧者と抑圧者、被虐殺者と虐殺者とでは、感じ方が全く異なる。抑圧者は罪名を雪ごうと、故意に忘却することを選択する。虐殺者は死体の痕跡をなくそうと、歴史の改竄を図る。これもおかしなことではない。もし日本が侵略され、虐殺された国の人々の立場に立って、自分の父や兄が虐殺され、自分の妻や娘が強姦され、自分の国土が蹂躙され、自分の庶民が奴隷的に酷使されたと想像してみれば、なぜ中国人が片時も歴史を忘れないかを理解できるかもしれない。日本は広島、長崎への原爆投下を毎年思い出しているのではないのか?日本人は人間だし、中国人も人間だ。日本は忘れられないのに、まさか中国は忘れるべきだとでも言うのか?違うのは、日本の庶民を殺害した張本人は、まさに日本軍国主義だということだ。日本が発動した侵略戦争が、広島と長崎に壊滅的な災禍をこうむらせた。どの国であれ、戦争の被害者が共に強く非難すべきは軍国主義とファシズムであり、他の何ものでもない。
「国によってはあの歴史にもう言及しないのに、なぜ中国人はこだわりつづけるのか?」と言うかもしれない。そのような考え方は無邪気と言わざるをえない。あの戦争に対する被害国の反応には、地政学的状況や現実的利益を考慮して違いがあるかもしれない。言及を望まない、あるいは敢えて言及しないのには、それぞれ目的がある。だからといって、あの歴史が存在しないということにはならない。69年は言うまでもなく、数百年経っても、第2次大戦の歴史を消し去ることはできない。米国人が真珠湾攻撃とその後の太平洋戦争を忘れることはないし、東南アジアの一部の国も日本軍が彼らのふるさとを壊滅させ、彼らを奴隷的に酷使したことを忘れることはない。日本はかつて軍国主義国家であったし、敗戦国なのであり、戦後国際秩序の取り決めを受け入れなければならない。この事は時が流れても消し去ることはできない。
安倍政治の持つ深い意味を知らず、頭を悩ませている日本人も少なくないのかもしれない。「前の世代の事はわれわれには関係ない」「69年経ったのに、なぜまだこだわるんだ?」と。
被抑圧者と抑圧者、被虐殺者と虐殺者とでは、感じ方が全く異なる。抑圧者は罪名を雪ごうと、故意に忘却することを選択する。虐殺者は死体の痕跡をなくそうと、歴史の改竄を図る。これもおかしなことではない。もし日本が侵略され、虐殺された国の人々の立場に立って、自分の父や兄が虐殺され、自分の妻や娘が強姦され、自分の国土が蹂躙され、自分の庶民が奴隷的に酷使されたと想像してみれば、なぜ中国人が片時も歴史を忘れないかを理解できるかもしれない。日本は広島、長崎への原爆投下を毎年思い出しているのではないのか?日本人は人間だし、中国人も人間だ。日本は忘れられないのに、まさか中国は忘れるべきだとでも言うのか?違うのは、日本の庶民を殺害した張本人は、まさに日本軍国主義だということだ。日本が発動した侵略戦争が、広島と長崎に壊滅的な災禍をこうむらせた。どの国であれ、戦争の被害者が共に強く非難すべきは軍国主義とファシズムであり、他の何ものでもない。
「国によってはあの歴史にもう言及しないのに、なぜ中国人はこだわりつづけるのか?」と言うかもしれない。そのような考え方は無邪気と言わざるをえない。あの戦争に対する被害国の反応には、地政学的状況や現実的利益を考慮して違いがあるかもしれない。言及を望まない、あるいは敢えて言及しないのには、それぞれ目的がある。だからといって、あの歴史が存在しないということにはならない。69年は言うまでもなく、数百年経っても、第2次大戦の歴史を消し去ることはできない。米国人が真珠湾攻撃とその後の太平洋戦争を忘れることはないし、東南アジアの一部の国も日本軍が彼らのふるさとを壊滅させ、彼らを奴隷的に酷使したことを忘れることはない。日本はかつて軍国主義国家であったし、敗戦国なのであり、戦後国際秩序の取り決めを受け入れなければならない。この事は時が流れても消し去ることはできない。
日本の菅義偉官房長官は「なぜ第2次大戦終結後69年たって国家哀悼日を制定するのか、日本側には疑問がある」と述べた。われわれは単刀直入に彼にこう告げることができる。今の世代の日本人が侵略戦争を発動したとは誰も言っていない。だがもし今の世代の日本人が歴史を顧みず、歴史を改竄し、過ちを認めないだけでなく、昔の軍国主義の幟を掲げるのなら、被害国の人々の憤りと警戒を招かないわけにはいかない。安倍首相の靖国神社参拝とA級戦犯の供養が、必ず世界の平和勢力に強く非難されるように。安倍首相は各国に説明をしたいと言い続けている。この弁解は日本人に向けて言うのは、まだ可かもしれない。だが被害国の人々に向けて言うのは、難しいだろう。この世界には日本だけでなく、多くの国がある。この惑星には大和民族だけでなく、多くの民族がいる。人を怒らせ、傷つけておいて、喜んで受け入れろと言うのは不公正だ。
侵略は侵略であり、歴史を直視する勇気を持ち、平和的発展の道を歩むことがより重要だ。理知で聡明な民族なら、失敗と没落から教訓を汲み取り、真摯で素直な姿勢で心を入れ替えることをわきまえているはずだ。過ちを隠蔽し、罪の招魂をするのではないのだ。後者なら夢でうなされるような悪名から逃れられないだけでなく、自己救済も難しくなる。中日関係をうまく処理するには、「歴史を鑑として、未来に向かわなければならない」と中国人は早くから指摘してきた。日本のような過去に不名誉な歴史を持つ国は、歴史について自らを全く省みないのなら、将来は恐らく面倒がさらに増え、安倍首相の望むような「強い日本を取り戻す」ことも論外となる。(編集NA)
「人民網日本語版」2014年2月28日
侵略は侵略であり、歴史を直視する勇気を持ち、平和的発展の道を歩むことがより重要だ。理知で聡明な民族なら、失敗と没落から教訓を汲み取り、真摯で素直な姿勢で心を入れ替えることをわきまえているはずだ。過ちを隠蔽し、罪の招魂をするのではないのだ。後者なら夢でうなされるような悪名から逃れられないだけでなく、自己救済も難しくなる。中日関係をうまく処理するには、「歴史を鑑として、未来に向かわなければならない」と中国人は早くから指摘してきた。日本のような過去に不名誉な歴史を持つ国は、歴史について自らを全く省みないのなら、将来は恐らく面倒がさらに増え、安倍首相の望むような「強い日本を取り戻す」ことも論外となる。(編集NA)
「人民網日本語版」2014年2月28日
菅 「なぜ第2次大戦終結後69年たって国家哀悼日を制定するのか、日本側には疑問がある」
なんてセリフ、よくもまあ言えたもんだわね。
沖縄県民の感情を無視し「屈辱の日」に、61年も過ぎていきなり「主権回復の日」とやらを開催し「天皇陛下バンザイ」とヘラヘラ笑いながらノー天気にバンザイ三唱したことはどう説明するんでしょうか?
それにしても自分が加害国に属し、加害者側の人間であるということをすっかり忘れているご様子ですな。こんなセリフは犯罪に対する責任をどんだけ軽く見ているかという証拠にもなります。
はっきり言えるのは、このように程度の低い人間は同じ過ちを繰り返すということです。
ではこちらの記事も被害国の声を記憶のための記録として。
朝鮮日報 3月23日より転載
日本は韓国にこんなことをする資格はない
韓国と日本の関係は、本当に悪縁のようだ。もともと「民族と領土と文化的衝突の余地がある隣国同士はいい関係でいられるはずがない」とは言うものの、韓国と日本の場合はその程度を超え、今では悲劇と化している。日本は韓国を完全に抹殺した「殺国の国」だ。近代植民地時代には、たとえ他の民族を弾圧して資源を収奪したとしても、国や民族、言語、文化を完全に抹殺したケースはまれだ。100年前の日本による朝鮮併合はまさにこうしたケースだ。
韓国の主権、言葉と文字、姓と名前、固有の伝統と文化を根こそぎ奪い去り、つぶしてしまった残忍な国が、まさに日本だった。韓国は5000年の歴史で1000年以上も隣国の侵略と支配に苦しんできた。その主犯は中国だったが、中国は韓国を支配下に置きはしたものの、国をなくして滅亡させることまではしなかった。政治的宗主の状態はひどいにしても、文化的、民族的側面では韓国を無視できなかった。しかし、日本は文化的、人種的劣等感からか、韓国の存在自体をなくそうと考えた。韓国が5000年の歴史で国を完全に失ったのは日本による1度だけだ。
われわれの国土が分断されたのも、日本に起因する。日本が韓国を直接二つに分けたわけではないが、日本が太平洋戦争に敗れたことで、われわれは戦勝国の戦利品と化し、国土分断の悲劇に直面した。文化心理学者のキム・ジョンウン氏は、本紙への寄稿文の中で「もともとは(戦争で敗れた)日本が分断されてしかるべきだ。戦争責任からドイツが東西に分けられたように、日本も(四つの列島のうち)東の島二つ、西の島二つに分けられるべきだった」と書いた。戦争は日本が起こし、その罪過は無残にもわれわれが被った格好だ。われわれは徹底的に日本の犠牲物となったのだ。
日本が疲弊した戦後経済から回復できたのは、韓国戦争(朝鮮戦争)のおかげだ。自分たちが起こした戦争で国の資源を使い果たしてしまった日本は、それから5年後に韓国で起こった同族間の戦争で米軍の軍需基地としての役目を担いながら、膨大な経済的利益を獲得するようになった。日本は隣家で発生した火事の際に水を売ってもうけ、自分たちの罪過で発生した他人の苦痛で快楽を得たようなものだ。現在の日本が米国の対アジア戦略の前衛隊となって獲得できた世界の中での政治的立場も、韓国が持つ地政学的位置と戦略的要素のおかげだ。
このように日本は韓国に対して犯した罪も多く、韓国によって得た利益も多い。今日までに日本が得たものは、日本人のたゆまぬ努力とチャンスをものにする賢さによる、ということは否定しない。どこの国でも自分にとって有利なものを持ち込もうとするのは同じだろう。しかし、その過程で自分たちが隣国に苦痛と困難を与えたことを否定してはならない。それを申し訳なく思い、それによって苦痛を受けた隣国に対して配慮できる最低限の礼儀と良心くらいは持ち合わせるべきではないのだろうか。しかし安倍晋三首相を前面に押し立てている日本の国粋主義的ブームは、それとは正反対の道をたどっている。「昨日を忘れる忘却」「自分たちが他人に与えた苦痛と被害を度外視する利便性」は世界をあきれさせるどころか、怒りさえ買っている。
われわれが知っている日本人は「他人に害を与えない思いやりの民族」だった。われわれはそんな日本人と日本社会の正しさをうらやましがった。しかし、その礼儀正しさと正義が失われた。現在の日本は「他人の傷をさらにえぐる」、あるいはアイデンティティーに混乱を感じる異様な国へと向かっている。「慰安婦は存在しなかった」「独島(日本名:竹島)は日本の領土」「南京大虐殺や731部隊も身に覚えはない」とし、自分たちこそがむしろ戦争の被害者であると主張するなど、とぼけ一辺倒に走っている。こうした症状が、むしろ認知症によるものであることを願うばかりだ。
こうしたことが、昨日のことであり、終戦直後のことならばまだ理解できる。1世紀前にすでに世界の歴史の第1章として記録されたことを今になって「知らない」というのは、歴史を逆にさかのぼろうとする意図以外にどう解釈したらいいのだろうか。慰安婦問題だけを見ても、日本が過去の過ちに対する最低限の責任を果たしてさえいれば、韓国も「自分たちが守れなかった韓民族の痛みをわれわれの手で責任を取ろう」という議論を発展させていたはずだ。しかし、安倍首相をはじめとする日本のナショナリストたちが、そのチャンスをむしろ政治的に悪用することで、今後韓国と日本の関係は行き着くところまで行くしかなくなった。
日本の侍は命よりも名誉を大切に考えたと聞いている。今日の日本はその「侍」の子孫ではないようだ。過ちを犯せば、ひざまずいて切腹した日本はもう存在しない。日本は他の国に対して何をしたとしても、日本によって国を奪われ、日本によって分断の苦痛を味わうことになったわれわれにだけは、こうであってはならない。
転載ここまで
被害者の声を聞かずして加害者側としての責任が果たせるだろうか
以前、韓国の朴大統領が「侵略の歴史は千年経っても変わらない」と発言をしたとき
日本のメディアがワッと飛びつき「だから謝罪なんて意味がない」とか「千年前のことを謝り続けるのか」「千年たっても恨み節を唱える韓国」とかトンチンカンで読解力ゼロで揚げ足取りのネトウヨ知能丸出しな見出しが多くありました。
言わせていただきますよ。
千年どころか万年、億年経とうが変わるわけないだろうが。
「千年経とうが変わることのない歴史に日本は日本の姿をどう刻むつもりなのか」と問うてるんですよ。
頼むから読解力を身につけてくれへん?