3・11から3年。国による「安全なき帰還」強要の動きが強まっている。近い将来の帰還を目的として再編された避難指示解除準備区域(年間被曝量20mSv以下)はもちろん、居住制限区域(年間被曝量20mSvを超え50mSv以下)すら避難指示解除の動きがある。非人道的な帰還政策は被曝強要であり許されない。 <田村市都路の場合> 福島県内で、他の地域に先がけて4月からの避難指示解除が決まったのが田村市都路地区だ。田村市の中でも東の端に位置し、葛尾村、浪江町、大熊町、川内村と接する同地区は、2005年に「平成の大合併」で田村市の一部となるまで都路村と呼ばれた。 2月23日、帰還に向け国が地元で開いた説明会は大荒れだった。「皆さまのご意見をうかがいたい」との言葉は完全にポーズだけ。住民が帰還の条件として求めた面的除染(一定範囲内の全体をくまなく除染する)は却下された。飲み水の安全のため住民が強く望んだ井戸の掘削も「検査で1リットル当たり10ベクレルを超えるケースについては個別に賠償する」という対応だ。事実上「病気になったらカネを払えばいい」という居直りに他ならない。 林業従事者の森林除染の要求、子どもが帰還できる「安全な数値」を示すよう求める住民の意見、除染廃棄物焼却炉の設置に反対する地元の声もすべて退けられ、事実上ゼロ回答だ。 国は説明会後半になって「帰還派」に一斉に発言させる。「このまま帰れないと心が壊れる」「5人が田植えを予定しており、4月解除が望ましいと提案したら、帰還反対派に脅された。この際、国の判断を」と彼らが発言したところで、国が「では4月に避難指示を解除する」と一方的に押し切った。 説明会で国は「避難指示は憲法22条の居住の自由を阻む例外。帰れる方の権利を守りたい」と日本国憲法を持ち出した。住民が子ども・被災者支援法に基づき避難の権利の実現を求めたときは憲法などふれることもなかった連中が、自分らに都合のいい帰還を強要するときは憲法の条文を持ち出す。卑劣極まりない。 住民同士を対立させ、疲弊させたところで、周到に準備してきた帰還の結論を押しつける。「結論ありきの茶番説明会」は今後、他の自治体でも繰り返されるに違いない。 <帰還拒否の自治体も> 現在、早期の避難指示解除を「希望」しているのは、川内村、葛尾村、楢葉町、飯舘村、南相馬市、川俣町。だが、国が「安全」とする年間被曝量20mSvを基準としても、川内村と南相馬市の一部を除けば帰還は非現実的といえる。楢葉町は旧警戒区域であり、葛尾村、飯舘村、川俣町(山木屋地区)は20キロ圏外にもかかわらず、高線量を理由に後から計画的避難区域になった経緯がある。 一方で、避難指示解除の見込みが立たない高線量地域を中心に、賠償額の違いにより住民が分断される事態を避けようと、独自政策を取る自治体も現れた。福島第1原発が立地する大熊町内には、帰還困難(年間被曝量50mSv超)、居住制限、避難指示解除準備の3区域すべてが存在する。町は、帰還困難区域以外の地域の住民に、帰還困難区域との家財賠償の差額を支給することを決めた。すでに3月議会にそのための予算も提案している。 帰還できないことを前提としたこのような「現実路線」も今後、各自治体に広がる可能性がある。大熊町の手法は、町が住民側に立って国の帰還強要政策と対決していくひとつのモデルケースだ。 <国策化するエートス> チェルノブイリ事故後のベラルーシで行われたエートスプロジェクトという事業がある。放射能汚染地で被曝しながら生活することに住民が疑問を抱かないよう、放射線を「正しく理解させる」ためのものだ。住民同士が行う対話集会の名目で、実際にはICRP(国際放射線防護委員会)が主導している。 エートスプロジェクトは、福島原発事故後の日本でも「市民の自主的取り組み」を装っていわき市などで展開されてきた。これに、2013年度補正予算で「住民の帰還促進」のため計上された512億円の一部が充てられる。事実上のエートス国策化だ。 福島では、これまで帰還や自主避難阻止のための口実づくりとして除染が行われてきた。原発事故から3年で見えてきたのは、その除染さえ投げ捨て、住民に再び安全神話を押しつけ、なりふり構わず帰還を強要する国の姿だ。国は、2014年を「福島が大きく動く年」にする、と帰還政策の全面展開を狙う。これと対決し、あらためて子ども・被災者支援法が打ち出した避難の権利を掲げ、全面賠償を柱にすべての被害者の要求実現を求めよう。【MDS】http://www.mdsweb.jp/doc/1322/1322_08t.html
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