5月革命の再来か、マクロン大統領に抗議するフランスの学生
2018年4月12日 14:59 発信地:パリ/フランス
フランス政府の大学入学要件厳格化に反対する学生たちが封鎖しているパリのトルビアック大学(2018年4月11日撮影)。(c)AFP PHOTO / BERTRAND GUAY
【4月12日 AFP】仏パリ・ソルボンヌ大学(Sorbonne University)の前にある噴水の脇に座りながら、クリスチャン・フォコンプレ(Christian Faucomprez)さん(72)は、この大学のキャンパスが社会的・文化的反乱の震源地だった1968年5月のことを回想した。当時フォコンプレさんは、反資本主義の学生として目まぐるしい日々を送っていた。
建物を占拠した学生たちの寝袋が散乱していた廊下。学生たちは、家父長的な戦後の指導者シャルル・ドゴール(Charles de Gaulle)大統領と対峙し、にらみ合いとなり、パリ中心部はその戦場と化していた。フォコンプレさんは「夜はいつも皆、眠れなかった」といたずらっぽく話し、その混乱に性的解放の希求が伴っていたことをほのめかした。
あれから50年。髪が白くなったフォコンプレさんは10日、当時と同じ場所を再び訪れ、エマニュエル・マクロン(Emmanuel Macron)大統領が推進する大学入学要件の厳格化に反対するデモに加わった。学生や左派活動家ら数百人は、ソルボンヌ大学からパリ左岸(Left Bank)まで行進した。
デモ隊は「レジスタンス!」「われわれの仲間を解放しろ!」といった5月革命時に学生逮捕への批判として使用されたスローガンを叫びながら、マクロン大統領の改革への反対を鉄道労働者や年金受給者、公務員らに呼び掛けた。
1000万人が参加した1968年のストライキや、右派政権に年金改革の撤回を強いた1995年の数百万人規模のデモに比べれば、今回のデモの参加者はわずかだ。しかし、フォコンプレさんは、これを機に何か大きなものが始動したと確信している。「1968年の最初の日も、ほんの数百人しかいなかった。これは、大きく広がる始まりに過ぎない」
■万人のための教育を
フランスでは3月、マクロン大統領の入学者選抜計画に反対する学生らが国内数か所の公立大学の校舎を占拠した。
現在、大学入学資格試験「バカロレア」に合格した生徒はどの大学にも入学できるが、現政権は大学が過密状態であることや、4年で学位を取得できない学生が60%に上ることを問題視している。
昨年にはこの問題が危機的状況に達し、志願者が定員を超えた数十の講座でくじ引きによる抽選が行われ、数千人もの学生が希望した講座を受講できない事態となった。そのため公立大学には、「志望動機」や「成績」がその大学の講座に合致する生徒を選抜できるよう、生徒の学業成績記録の閲覧許可が与えられることになっている。
1968年のデモの火付け役となったパリ西部のナンテール大学(Nanterre University)で経済学を専攻しているフロリアン・マゼ(Florian Mazet)さんにとっては、こうした改革はフランスの価値観に対する裏切りに他ならない。
「フランスには、自分たちの願望に基づいた社会モデルがあり、そこには自分が選択したものを学ぶ権利も含まれます」と話すマゼさん。法律や心理学といった人気の高い講座では、大学側は学業成績がトップクラスの生徒たちばかりを主に受け入れ、貧困地域出身の若者たちは脇に追いやられてしまうのではないかとマゼさんは心配する。
フレデリック・ビダル(Frederique Vidal)高等教育・研究相は、学力の低い生徒には新たな入学最低要件に届くよう補習授業を実施するとしているが、約400人の教師が公開書簡で、同相が約束した10億ユーロ(約1300億円)の予算が拠出される兆候は今のところまったくないと述べている。
学年末試験が目前に迫る中、数校の大学校舎は過激さを増すデモ隊によって今も閉鎖されており、緊張の度合いが増している。9日には、機動隊がナンテール大に踏み込み、座り込みを行っていた数十人の学生を排除。少なくとも学生1人が負傷し、7人が逮捕された。
またソルボンヌ大学の学長は11日、先週末に火炎瓶が見つかったパリ東部の学部で、学生支援者と座り込みに反対する人々との間で衝突があったことを受けて、警察に支援を要請した。
モンペリエ(Montpellier)やトゥールーズ(Toulouse)、ボルドー(Bordeaux)、ストラスブール(Strasbourg)、レンヌ(Rennes)などの都市の大学でも、校舎の一部またはすべてが閉鎖されている。(c)AFP/Clare BYRNE
関連記事
仏国鉄労組、8日から再びストへ