2018年2月10日(土)
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┗■1.野口邦和らの本『しあわせになるための「福島差別」論』について
| 政府側の一連の新しい動きと軌を一にした「下からの翼賛運動」だ
└──── 渡辺悦司(市民と科学者の内部被曝問題研究会)
まだ、暫定的ですが、ざっと本の感想を綴ってみました。
同書の刊行は、昨年(2017年)9月の学術会議の「子ども被ばく」報告書、同12月の復興庁の「風評払拭」文書など、政府側の一連の新しい動きと軌を一にしたものです。
http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-23-h170901.pdf
http://www.reconstruction.go.jp/topics/main-cat1/sub-cat1-
4/20171211162232.html
文字通り「下からの翼賛運動」というわけです。
福島の放射線量の現状(安全なレベル)、外部被曝と内部被曝の同一視、自然放射能と人工放射能の比較などについては、ほとんど同じ内容が展開されています。まし
復興庁文書については、現在、山田さんと批判を行うべく検討中です。
(1)同書の中心的な論点
野口氏らの中心的な主張点は、第4章の見出し「被曝による健康影響はあるのかないのか」にあり、その問いに関する回答は158ページにあります。
これを判断する基準は『どちらが人々(とりわけ被害者)のしあわせにつながるか』ということであるべきだ」というのです。
つづけて同書は、これは「科学の問題」ではなく「社会的合意の問題」であるというのです。
反対に「影響がある」という人々は、人々を「不しあわせ」にし、福島の被害者を「差別する」ものだ、という論理なのです。
これが「しあわせになるための『福島差別』論」という本の題名の由来のようです。
ですから、「被曝の健康影響がない」というような「社会的合意」が、人々の合理的で理性的な判断を基礎に生まれることは決してありません。
ここから、政府や政府側専門家は、権力主義的に、そのような健康被害ゼロ論の「社会的合意」を人々に強制的に無理矢理押しつけようとしています。
「被曝しても影響がない」と皆が信じれば「しあわせになれる」という一種の「宗教」に近づいています。
(2)係数操作による被曝基準の緩和要求
すでに現行の基準は、家屋遮蔽係数0.6を掛けた、過小評価された数字です。
つまり、20mSv/yは実際には33mSv/yなのです。
それだけでは止まりません。
さらに、周辺線量等量で0.6を掛けるべきとも言っています。
つまり、現行の帰還基準20mSv/yは、実際には事実上33mSv/yですが、これを0.1を掛けた値、200mSv/Yにまで引き上げようというわけです。
つまり、野口らはすでに事前から、このような動きに迎合しようとしていたわけです。
ですが、もしそうなれば、何が生じるでしょうか?
そのような場所に、5年間居住すれば、積算の被曝量は実際には1Svに達し、放射線の10%未満致死量に相当するレベルになります。
15年間居住すれば3Svを超え、半数致死量に相当する被曝量に達してしまいます。
子どもの感受性はICRPでも3倍ですから、それを考慮すれば、子どもは5年も居住すれば半数致死量に、16年もすれば全員致死量に相当する被曝量になります。
野口らは、「専門家」を自称していますから、このことを知らないはずはありません。
つまり野口らの提起には、最低でも「未必の故意」が疑われるわけです。
ただし、ICRP2007勧告でも、1ヵ月の積算線量の場合、致死量が2倍程度になるだけとされており、上の比較が大きく変わることはありません(126ページ)。
ICRPが、生涯線量で1Svつまり放射線致死量の下限を、「移住」の基準(介入レベル)としていることは、示唆的です。
「遺伝性影響はない」という野口氏らの断定だけで、これら今までの基準の基礎となってきた事実が消えてなくなるわけではありません。
(4)放射線感受性の個人差は「わずか」か?
さらに、野口氏らは、DNA修復遺伝子(ATMなど)変異を持つ人々の存在も指摘しています(207~208ページ)。
ところが、彼らの結論は、「わずかながら個人差がある」と、この差が「わずか」であると決めつけています。
この個人間の放射性感受性の相違は、決して「わずか」な幅ではありません。
大阪大学医学部の本行忠志氏によれば、個人間の放射線感受性の差は極めて大きく、セシウム137の生物学的半減期で見ると、個人間の差は最大で100倍あるとされています。
http://seisan.server-shared.com/664/664-68.pdf
このように、放射線感受性の個人差を「わずか」というのは、はっきり言って嘘です。
しかも、遺伝子的に高放射線感受性の人は、ICRP・放医研でも人口の1%、ECRRでは6%もいます。
これらの人々の被曝リスクは平均の2-3倍、あるいは10倍となる可能性があるのですから、それを「わずか」と決めつけるのは、このような人々の人権を頭から否定するものです。
(5)「重大事故が起こっても何の健康影響もない」ことになると何が起こるか?
政府の目論んでいる大規模な原発再稼働は、これを織り込み済みです。
野口らは、「しあわせになるための」の議論によって、客観的、結果的には、このような今後の事態の展開を、遠ざけるのではなく、近づけるために努力しているのです。
天皇の姻戚でもある精神科医の久邇晃子医師は、事故直後、事故が起こってもなお原発を推進しようとする勢力を「集団自殺願望」だと厳しく批判しました(『文藝春秋』2011年12月号)。紹介は下記サイトにあります。
http://hourakuji.blog115.fc2.com/blog-entry-2979.html
http://hourakuji.blog115.fc2.com/blog-entry-3074.html
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このような主張を、日本の原水禁運動の指導者の一人、「原水爆禁止世界大会実行委員会運営委員会共同代表」である野口氏が中心になって行い、さらには日本共産党の不破哲三(当時)衆議院議員の発言をわざわざ引用して(107ページ)、
あたかも共産党中央との関係を示唆あるいは印象づけるような仕方で行う(現実にどうなのかは知りませんが)という点に、この本の異常性があります。
ぜひとも、詳しく検討し、厳しく批判しなければならないと確信します。
この点で、皆さまと協力し、共同で批判・論駁していければと思います。
どうかご検討ください。
2018年01月 |
定価(本体価格2,300円+税) |
