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Channel: 宝の山
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[転載]タカキンの仲間、よしのちゃんの死を哀悼します

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 原発とめよう秩父人のメンバーで、原発とめよう群馬の仲間でもあったよしのちゃんが昨日2月15日、亡くなりました。39歳。乳がんでした。現代医療を拒否して、自分のやり方で長い壮絶な闘いの末の死でした。こころからご冥福をお祈りします。
 こんな戦争や原発・放射能が人類をいつほろぼすかわからない時代。心残りであったろう子供の未来のことを考えては、絶対に安らかになんてしていられない無念の気持ちで旅立ったに違いない。いっしょにがんばってきた仲間として、彼女の無念を胸に刻んで、彼女の生き様を引き継いで、がんばっていこうと思う。
 よしのちゃんが最初にタカキンに来てくれたのはいつだっただろうか…タカキンをはじめたのがたしか2012年の夏。それから間もなくダニーさんたちといっしょに来てくれたのが最初の出会いだったと思う。持参のボードを高く掲げて通り過ぎる人たちにじっと目で訴えていた姿をよく覚えている。
 それから一人で、何回もタカキンに来てくれた。「東京行くよりは近い」と寄居に車を置いて、八高線で来てくれた。八高線ではたいへんだろう、帰る方向がいっしょだからと、何回か車で寄居まで送っていった。
 大阪生まれ・大阪育ちのよしのちゃん、僕も学生時代が大阪だったので、話が合った。数奇な人生を歩んでいる点でも話が合った。もちろん、原発や戦争の話。子供の話。仕事の話。よしのちゃんと話していると楽しかった。そんなときに、ひょいと「私、乳がんやねん」と、カミングアウトされた。えっ!と絶句した。さっきまで子供のこと楽しそうに話していたのに…
 それからずっと気にしていた。でも彼女はいつも前を向いていた。フェイスブックで「がんちちジャーナル」なるシリーズ投稿が始まり、自分の闘病をみんなにシェアして、よく笑わせた。どんな運命にも自分の生き方を貫いていた。尊敬した。
 去年の5月、長瀞のお店の近くまで行ったので、会いたくて寄ったけど会えなかった。そしたら6月の遊民谷のイベントの日に、「遊民谷ってどこにあるの?車いすでも行けるかな?」とメッセージが届いた。そして人に付き添ってもらって遊民谷に来てくれた。うれしかった。みんな喜んだ。折れそうな身体だったけど、みんなとハグしてまわった。
 帰ってから送ったお礼のメッセージに帰ってきた返事がこれ。
「遊民谷、ずーっと行きたったし、ぐんまのみんなに会えて嬉しかったです♪ぐんまの仲間たちの団結力にも感動したけど、フェスタでのみんなの笑顔と明るさを見て、また強さを感じました。仲間っていいよね♪
 ウチも最初、こんなガンなんか一人で治したるわい!って調子のってたけど、それは大間違いやった。ガタッと具合悪くなったらすぐに仲間が駆けつけてくれてみんなで支えてくれた。その早さに驚きました。助けを求めたわけでもないのに。脱原発だけでつながってるだけだと思ってた仲間が、いっせいに助けに来てくれた。みんなの「よっちゃんを絶対死なせないよ!」ってゆー強い思いで生かされてるような気がします。ひとりじゃない。みんなのパワー貰ってガンと戦います!で、絶対勝つからね♪ またねー\(^^)/」
 ほんとに悔しい。悲しい。いい世の中にするからね。よしのちゃん!

                  原発とめよう群馬  清水彰二

転載元: NAZENぐんま


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