8.10 現地報告 : 川内原発ゲートの真ん前に私たちは立っていた
堀切さとみ 8月10日、朝8時半。九州電力川内原発ゲートの真ん前に私たちは立っていた。3・11後、原発ゼロを実現してきた日本が、再び原発時代を始めようとしている。10キロ圏外の避難計画はなく、安全性には何の確信もない中での見切り発車。地元・鹿児島だけの問題ではないと、福島から、首都圏から、全国の原発地域から集まった人たちが集まった。
「いまだ福島原発事故に誰も責任をとっていない。その覚悟もない。そんな国に原発を動かす資格はない」おびただしい警備の中に堂々と置かれた宣伝カーの上で、次々とマイクをにぎる。 大分県の女性は「東京から川内が一番遠いから再稼働第一号になったんだと思う。九州をバカにするな。田舎差別だ」と叫ぶ。
「自分たちのような悲劇をくりかえさないでほしい」と訴える元原発作業員、 「われわれの理解力を超えている」と語るフランス人も。
3・11以降、原発の復旧や除染に携わる多くの労働者の話を聞いてきたという動労水戸の組合員は、ゲートの中に届けとばかりに呼びかける。 「労働者は社会的責任を持っている。自分も電車を安全に運行すること、危険な ことはやらないことを課してきた」「原子力は素晴らしいと言っている 会長た ちは、いざ事故が起きたら現場の労働者をほったらかして逃げた。再稼働は世の中の圧倒的多数の人たちが不安に思っている。会社の方針に逆 らってでも、労 働者の社会的責任にかけて、おかしいことはおかしいと言おう!」
広瀬隆さんは「四年間かけて冷却された燃料棒が引き抜かれようとしている。こ れがどれほど恐ろしい意味をもつのか。実はここに立っているのが怖 い。 1995年の阪神淡路大震災の余波をうけて、川内原発は日本の原発ではじめて自身の直撃を受けた。鹿児島の人なら覚えているはず」「今、技術 者たちは部 分部分の点検をしながら、もっと怖い思いをしているはず。うまくいくかどうか は再稼働してみないとわからない。まさしく生体実験の状況 におかれているのだ」 世界で三年以上動かさずにいた原発は七つあるが、すべて事故を起こしている。 再稼働さえなければ労働者が命を危険にさらす必要も、川内原発周辺の 避難計 画もいらないのだと、広瀬さんは強く訴えた。
大学生もマイクを握った。専修大の学生は再稼働と安保法案に抗議し、国会前で ハンストをやると告げた。 若い力が結集してきている。
薩摩川内市議の井上勝博さんは「福島原発事故による放射能の総量は1万テラベ クレルで、川内原発はそれ以上にはならないから普通に生活できるなど と県知 事は言う。こんなふうだから避難計画に魂がこもらない」と地元の現状を語る。 保守的と言われる鹿児島県だが、久見崎海岸近くに住む男性が 「薩摩川内でも反対の人は多いよ。人目を気にして言えないだけ」と話してくれた。
お盆前で飛行機代はいつもの倍以上という中、首都圏からも一人でも多くの人を現地に結集させようと『原発現地へ行く会』がつくられた。わず か一か月で全 国から500万円が寄せられ、福島から避難している人がなけなしのお金を振り込んでくれたり、炎天下の闘いになるからと沢山の飲料水 が送られた。ゲート前行動には、現地に行きたくても来れなかった、たくさんの人たちの思いがこめ られている。
浜の潮風を感じながら、地元を知る人や九州各地から集まった人たちの言葉を聞き、全国各地の人たちと「原発のない社会」に向けた思いを共有した二 日間。 8月11日午前十時。九州電力・川内原発はまもなく再稼働を始めようとしている が、かならずトラブルに直面し、動かし続けることはできないだろ う。