「緊急事態条項」こそ改憲の本丸、民主主義の死
衆院憲法審査会が審議入りした。安倍政権は悲願の改憲を実現するため「緊急事態条項の新設」など「他党の賛同を得やすい項目」の絞り込みを急いでいると報じられている。
冗談ではない。この「緊急事態条項」こそ、9条改訂に勝るとも劣らぬ、民主主義を放棄するに等しい、きわめて危険な条項なのである。こんなものが「賛同を得やすい」と思われること自体が、非常に危機的である。「維新、公明、次世代の三党が緊急事態条項の必要性に言及した」というが、これら諸党は民主主義を遵守する意識が根底から欠けていると言わざるを得ない。
今こそこの「緊急事態条項」に注目を集めなければならない。
私自身かなり前にこの条項の危険性についてこのタイムラインに書き、同様の趣旨を論じる方も増えてきている。改めてノートとして、この件に論及しておきたい。
2012年に決定・公表された自民党の「日本国憲法改正草案」の98~99条が「緊急事態条項」について定めている。
① 内閣総理大臣は「我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態」において、国会の「事前または事後」の承認を得て、緊急事態宣言を発することができる。
政権側は「大規模な自然災害」を表に打ち出しているが、自民党の改憲案が真っ先に掲げているのは「外部からの武力攻撃」や「内乱等による社会秩序の混乱」である。
「外部からの武力攻撃」にはそれこそ「地理的な限定」はない。ゆえに「日本固有の領土」とされる尖閣諸島において日中間の衝突が起これば、それを理由に―たとえ市民の命に何の影響もなかろうと―緊急事態を宣言することは論理的に可能である。
また安保法制において集団的自衛権やら「存立危機事態」やらと武力行使可能な範囲をことさら広げようとしている安倍政権のこと、「我が国に対する外部からの攻撃」が地理的に日本の国土外で発生しても「緊急事態」を宣言することくらいやりかねない
(例えばジブチの自衛隊基地をソマリアのイスラーム聖戦主義武装勢力が攻撃すれば「テロの危険が日本にとって差し迫ったものとなった、緊急事態だ」とか言い出しかねないだろう)。
DPRKの核実験なり「ミサイル発射」で緊急事態を宣言することも「法律で定め」てしまえば可能になる。
いくら何でもそれはこじつけに過ぎる・・・と思われるかもしれない。しかし、それは有体に言って政権の解釈次第である。なにしろ憲法さえ行政の「解釈」によって実質的に変えてしまう政権である。そんな政権に性善説で臨んではいけない。
国会の承認も歯止めにはならない(ましてや事後承認では・・・)。何しろ自公は国会の圧倒的多数を抑えており、考え方の近い党を加えれば大多数を占めている。政権の解釈を「合法的」に罷り通らせることなど容易なことだ
② 緊急事態宣言が発せられたときは、「内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができる」。すなわち、行政が国会の議を経ない布告で統治できるようになる。
これに対する国会の承認は「事後」でよいとされる。これでは歯止めになり得ないのは前述の通りである。
しかも、こうした指示には地方自治体の長をはじめ「何人も」(ここだけは「国民」ではなく「何人」)従わなければならない。
まさしく諸外国で多数の事例がある「非常事態宣言」と同様の、行政独裁を可能とするものである。
③ 「百日を超えて緊急事態の宣言を継続しようとするときは、百日を超えるごとに、事前に国会の承認を得なければならない」が、「緊急事態の宣言が発せられた場合においては、法律の定めるところにより、その宣言が効力を有する期間、衆議院は解散されないものとし、両議院の議員の任期及びその選挙期日の特例を設けることができる」とされる。
つまり、緊急事態を宣言した政権の与党が国会の圧倒的多数の議席を占めていれば―法律によって延長回数の制限を定めない限り―その国会の承認を得て無限に「緊急事態」を延長し、衆議院総選挙を無期限に行わないことも可能になる。事実上の恒久執権体制の出現である。
事ここに至れば、政権を交代させようと思えば市民革命か武力闘争以外になくなるし、政権はそれをまた「内乱等による社会秩序の混乱」として緊急事態延長の理由にできる。いずれにしても民主主義は(少なくともいったんは)死を迎えることになる。
政権与党が緊急事態を延長する理由ならいくらでも作れる。現状に例えるなら、「震災復興がまだ終わっておらず東北の市民生活の危機が続いている」という言い方ができる。あるいは―原発事故は収束したという強弁をあっさり撤回して―「放射能汚染の危機的事態がいまだに続いている」という理由づけもできるだろう。
テロがいったん起これば「いつ国内でテロが起こるか分からない」という口実で、めぼしい「テロリスト集団」が世界に存在する限り「緊急事態」だと強弁することもできるだろう。「DPRKが核やミサイルの開発をやめない限り日本への脅威は続く、ずっと緊急事態だ」と言うことも可能だろう。
恣意的に「緊急事態」を宣言すれば、それを恣意的に延長するなど朝飯前である。それは第三者評価によらず政府と国会―正確には国会の多数派―の権限だけで決められるからだ。
繰り返すが、強権行使を可能にしようとする政権とその与党の意向を性善説で解釈することはできない。それが歴史の教訓である。
「大災害のような事態には仕方ないよね・・・」とか安易に納得してはいけない。「緊急事態条項」こそ、日本の民主主義を死滅に追いやり行政独裁の道を開きかねない、最も危険なものである。これは9条を変えるための「周辺的」な問題ではなく、むしろ改憲の本丸と見るべきだろう。