【阿佐ヶ谷市民講座】
講演:「福島の今と向き合う!」 ―現地からの報告と訴え―
講師: 椎名千恵子さん(福島市在住)
阿佐ヶ谷市民講座の会場は
JR阿佐ヶ谷駅南口で駅を背にしてバス通りを直進600メートル。青梅街道と交差するT字路みずほ銀行角を右折70メートル(2節目)を右に30メートル。駅から徒歩10分?劇団展望です![走る人]()

皆さんのご参加を心よりお待ちしております!
■とき:2月19日(木) 18時30分~
■主催 阿佐ヶ谷市民講座実行委員会
■参加費 1000円(学生500円)
■会場 劇団展望(東京都杉並区阿佐ヶ谷南3-3-32)
●地下鉄丸の内線・南阿佐ヶ谷駅から徒歩3分
●JR阿佐ヶ谷駅南口から徒歩8分
■参加費 1000円(学生500円)
■会場 劇団展望(東京都杉並区阿佐ヶ谷南3-3-32)
●地下鉄丸の内線・南阿佐ヶ谷駅から徒歩3分
●JR阿佐ヶ谷駅南口から徒歩8分
呼びかけ人![虹]()

白井佳夫 (映画評論家)
麻生和子 (日本基督教団神奈川教区「国家機密法」反対特別委員会代表)
奥平康弘 (東京大学名誉教授)
白井久也 (元東海大学教授)
葉山岳夫 (弁護士)
藤田 進 (東京外国語大学名誉教授)
萩野富士夫 (小樽商科大学教授)
斎藤貴男 (ジャーナリスト)
三角 忠 (編集工房 朔)
2月阿佐ヶ谷市民講座は、福島から椎名千恵子さんをお呼びします
●3.11福島原発大事故から4年、今、福島はどうなっているのか? これは私たちがひと時も 忘れてはならな問題です。いまだ事故の収束どころか、農業や漁業など一切の生活を奪われ 過酷な避難生活を強いられている人が未だに10数万人もいるというのに、先の衆議院選挙でインチキ選挙制度のもと議席の大半を独占した安倍政権は、原発再稼働に向けて突進しはじめました。
●そのためにも福島の原発大惨事については、まるでそれが無かったかのように避難民を未だに高い放射線量の地域へ帰村させようと強引に促しています。そして福島では原発事故のことを話すことさえ出きないような状況が、国と原子力村の巧妙な手口によって進行していると現地から報告されています。
まさに完全な福島の切り捨てです!
●しかしこの現実に対し、福島の現地で怒りを込め反原発の立場から懸命に闘っている方がたくさんいらっしゃいます。その中の一人が講師の椎名千恵子さんです。「3.11」によって生活が奪われた椎名さんは、その直後から国や東電に対し、その責任追及と原発即時廃炉の立場からその先頭で闘ってきました。また日本全国、さらにドイツやアメリカなどの世界にも出かけて福島の現実を伝え、世界からすべての原発を廃棄するために全力でたたかっていらっし ゃいます。今年1月も10日間にわたってアメリカに行き福島の現状を伝え反原発を訴えてきます。その椎名さんに今の福島の現実について詳しいお話しを、アメリカやドイツの訪問の報告も含みながらお話していただきます。
《 椎名千恵子(しいなちえこ)さんのプロフイール 》
●1946年、福島県梁川町生まれ。演劇や詩の朗読などの表現活動を行うかたわら、多種多様な講師を招いて行う「校舎のない学校」の活動は有名。
●その後丸盛森町で自給自足の農家体験型の民宿を営むが、2011年の「3.11」で生活が一変。「3.11」後、経産省前の座り込み、テント設置の先頭に。また福島の子供の健康を守るために「ふくしま共同診療所建設」のため委員として活躍。12年は米国、13年にはドイツ、今年1月には再び米国を訪問し福島の現状を訴える。
●そのためにも福島の原発大惨事については、まるでそれが無かったかのように避難民を未だに高い放射線量の地域へ帰村させようと強引に促しています。そして福島では原発事故のことを話すことさえ出きないような状況が、国と原子力村の巧妙な手口によって進行していると現地から報告されています。
まさに完全な福島の切り捨てです!
●しかしこの現実に対し、福島の現地で怒りを込め反原発の立場から懸命に闘っている方がたくさんいらっしゃいます。その中の一人が講師の椎名千恵子さんです。「3.11」によって生活が奪われた椎名さんは、その直後から国や東電に対し、その責任追及と原発即時廃炉の立場からその先頭で闘ってきました。また日本全国、さらにドイツやアメリカなどの世界にも出かけて福島の現実を伝え、世界からすべての原発を廃棄するために全力でたたかっていらっし ゃいます。今年1月も10日間にわたってアメリカに行き福島の現状を伝え反原発を訴えてきます。その椎名さんに今の福島の現実について詳しいお話しを、アメリカやドイツの訪問の報告も含みながらお話していただきます。
《 椎名千恵子(しいなちえこ)さんのプロフイール 》
●1946年、福島県梁川町生まれ。演劇や詩の朗読などの表現活動を行うかたわら、多種多様な講師を招いて行う「校舎のない学校」の活動は有名。
●その後丸盛森町で自給自足の農家体験型の民宿を営むが、2011年の「3.11」で生活が一変。「3.11」後、経産省前の座り込み、テント設置の先頭に。また福島の子供の健康を守るために「ふくしま共同診療所建設」のため委員として活躍。12年は米国、13年にはドイツ、今年1月には再び米国を訪問し福島の現状を訴える。